和で装う襟元のお洒落

・ジャパンシルク

 昨今、にぎわう観光地域ではレース地やプリント柄の化繊地を使用し気軽に着こなす和服姿を多く見かけるようになりました。かつて、着物は小袖と呼ばれその時代に沿った材質・デザイン・加飾技法そしてフォルムを意識し、さらに着こなし方など流行とともに移行し現在の和服スタイルへと変遷していきました。なかでも絹織物は各地で生産されジャパンシルクとしてグレードの高い生糸は外国への輸出が盛んにおこなわれていました。そもそも、絹とはカイコガ科(和名)に属するの昆虫で養蚕農家(家畜化)など人為的に飼育された蚕です。祖先はクワの木に生息するクワコ(野生種)と考えれれています。実は阿助さん、幼少の頃お爺さん宅の屋根裏から聞こえる”カサカサ”音・・・?恐る恐る上がってみると、大量の桑の葉をむしゃむしゃと食す白っぽい幼虫にかなりビビった思い出があるようです。養蚕農家ではお蚕さんと呼び大事に育てられていたそうです。お蚕さんは、時期がくると口から分泌する細い透明な液体を出しますが空気に触れることで糸状化し幾重にも重なった楕円形の繭を完成させます。その後、繭は生糸をつくるための工程を幾度も経て光沢のある絹織物が出来上がり、これらは巧みな染織技術で加飾され艶やかな衣裳が誕生します。

・和裂の行方

 かつて、古物商でよく見かけたのが江戸時代後期に製作された縮緬地等の和裂でした。アンティークな三つ折人形の収集家や人形制作をする作家さんにとって時代物の裂地は貴重品で、小袖や端裂などの古布を人形の衣裳用に制作するため大事に収集していると聞いたことがあります。ところで、通常着物を仕立てるには着尺地1反(長さ約12m・幅40cm)から製作されます。デザインには総柄やポイント柄さらに縞柄・幾何学模様など多々あり、丈長幅短地のなかで構成されています。趣味人などからは、生地やデザインに至る全てをフルオーダーする依頼等もありますが、セミオーダーでは既製生地から体型にあわせてデザインの配置や寸法等を確認して仕上げるため端裂が残る場合があり、尺によってはバックや草履などに誂えるといった注文ができました。そこで、遡ること30年前知人から頂いた羽織の残布があり、このまま永久保存するにはと思い襟元の装飾品を仕立てることにしました。和裂はおおよそ60年以上前に製作された綸子地です。繻子織物の裏組織で渦と額入竹模様の地文様を織り出し、後染の際白抜絞りと鹿の子絞りを加えさらに白抜き箇所の額文様には平糸の色糸を渡して唐草模様を表現した実に趣向を凝らした絹布です。色目は当時流行していた化学染料のレッドパープルです。おや!織出し箇所に京都府の印章と愛嬌たっぷりの「へのへのもへじ」。さて、どう創作するか今しばらくお待ちいただきます。

・洗浄方法

 絹布の状態は良好ですが、長期にわたり保存され皺のほか、臭いや塵や埃等が付着している可能性があります。水洗浄ができるか端裂の一部をカットし水に浸して放置します。今回、色の流出を確認したので加湿による清掃に切り替えました。水洗とは異なり表面上の付着している埃や臭い等を段階的に除去する方法です。下地に和紙を敷き裏面を表にし、脱水機にかけた湿り気ほどの絹布を上に被せます。この加湿用の絹布には白羽二重の古布を使用します。5分程放置した後、加湿布を外し水洗いし再度適宜な湿り気を与えます。次は裏面を下に表面を前面にして同様に加湿布を被せます。この工程を4,5回行うと加湿前より絹布の光沢が美しくなってきます。

・和裂の再生

 しなやかな風合いを保ちつつ限られた和裂でペア―タイを作りたいと考え、まずメンズ向けのポインテッドは、出来上がりをやや幅広とし先端は鋭角に仕上げることでシャープ感を表現し、また絞りの風合いに適合する柔らかめの芯地を使用し首回り箇所はゴムベルトでアレンジしました。一方、レディース向けは長短の2布を使用し、立体感のあるリボンとするため芯地に化繊綿を入れて優美さを表現しました。

・和裂の美学

 綸子地の光沢と絞りの風合いを保ちつつ細かく繊細な目結で表現されたデザインは、表面に生じる凹凸感によって和裂の質感は一層向上します。技法的には単純なものですが、非常に手間のかかる作業です。目結一粒一粒の技が襟元に光ります。

・おわりに

 明治期に流行したやや厚手の縮緬地から薄手の縮緬地が復活した大正期には、友禅染の繊細な絵画表現が可能となりました。褄裾模様の華やかさは、大正ロマンを感じさせるさりげない淡い色彩が取り入れられていきます。さて、時代物の艶やかな着物から再生した長羽織の襟元にリボンタイを装うのはいかがでしょうか。またのご依頼をお待ちしております。